環境

枝野氏、「炉心溶融は大前提で話していた」

Monday, May 28, 2012

東京―(パンオリエントニュース)

東日本大震災当時、官房長官だった枝野幸夫経産相は27日、参考人として第15回福島原子力発電所事故調査委員会に招致された。

委員会メンバーの野村修也委員から「多くの国民が(昨年)6月7日に初めて炉心溶融について知らされたと感じている」と指摘を受けると、枝野氏は「炉心溶融の可能性は高い」と13日の会見の段階で発言しており、その後も「炉心が溶けているということや、放射性物質が漏れているということは、大前提で話をしていた」と語った。

3月13日の記者会見から6月7日までの間、「炉心溶融はないんだという印象を与えていたというなら、それは私の真意ではないし、反省すべきだと思う」と述べた。

また野村委員は、非難区域が10kmに拡大することを発表した昨年3月12日の朝の記者会見において、枝野氏が「(炉内)圧力の数字がかなり高まって」おり、放射性物質が「漏れるなり、爆発するなり可能性がある」という考えを持っていたのにもかかわらず、「万全を期するため」とだけしか避難区域拡大の理由について述べていなかった点についても指摘した。

こうした「最悪の事態」の可能性が住民に知らされていれば、住民も長期の避難に備えることが出来たのではないかという野村氏の問いかけに対し、枝野氏は、「実際にこの指示に基づいて、すぐに戻れるつもりで避難をされて、その後長期にわたって一時的にすら戻れないという状況になっておられる方」に「長期になるかもしれないとお伝えできていれば、相対的にはまだましな対応が出来ていたかもしれないというようなことは、まさに忸怩たる思いだ」と述べた。また、「当時は急性被爆から周辺住民の皆さんを守らなければという問題意識」であり、「避難が長期にわたるんだという問題意識自体を、私だけではなく、皆さんお持ちではなかった。結果的に大きなご苦労をおかけしたことは忸怩たる思いだ」と語った。

福島原発4号機の圧力容器設計を担当したという田中三彦委員からは、昨年3月13日午後の記者会見において枝野氏が「昨日のような爆発(1号機の水素爆発)を生じた場合であっても、原子炉本体、格納容器については問題が生じない」と発言し、住民のさらなる避難は不必要としたことについて、「爆発するが安全だという宣言に聞こえた」と指摘された。枝野氏は「原子炉本体や格納容器については水素爆発そのものでは大丈夫だという報告を受けた」とし、「安全宣言をした意識はない」と述べた。

櫻井正史委員は、「もっと早くSPEEDIが公表されていれば、被曝線量が抑えられたのではないか」という住民の意見を紹介し、SPEEDIの機能や公表の仕方について質問した。これに対し枝野氏は、SPEEDIの存在を知ったのは、「15日か16日だったと思う」と発言。SPEEDIの担当者に問い合わせすると「方出現情報がないので使えません」と説明されたという。枝野氏はモニタリング情報を基にして算出できないのかと要請すると、23日に算出結果を提出されたという。しかし「その後、一単位あたり(のシュミレーション)を別途やっていたということが分かり、すぐに全て公表するようにした」。これは「25日か26日」のことだという。SPEEDIの情報が3月14日に、文科省によって外務省を通じ米軍に提供されていたことは、今年1月に行われた第2回委員会ですでに明らかされている。

また昨年3月14日、アメリカらから技術者を官邸に駐在させる話があったことについて、枝野氏は「ルース氏からお話があった」が「官邸に常駐というのはお断りした。官邸はわが国の国家主権の意思決定をする場。外国政府の方が決定そのものに直接関与するのは国家主権の問題からありえない」と判断したという。

委員会後の黒川清委員長による記者会見では、「フリーの記者は保安院の記者会見には入れるが、枝野官房長官の記者会見には入れない。官房長官の記者会見がオープンになっていなかったのではないか」という指摘があった。さらに今年2月21日に自由報道協会が主催した記者会見で、馬淵澄夫元首相補佐官が記者会見で「メルトダウンについて5月まで知らなかった」と発言していたことについても指摘があった。


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